14、木地(鈍川)



(5)奈良原神社の神仏

○ 奈良原神社

  祭神は、伊弉諾神・大山咋神・宇気母智命・予母都事解男命・寛成帝命。

 宇気母智命は保食神で、伊勢外宮の豊受大神と同神で、五穀牛馬の神として広く崇められている。寛成帝命はもちろん長慶天皇である。

○ 子守明神(牛神様)

 大和国吉野山水分神社を勧請したもので、水の神様として蒼社川水系の水を司った。

 祭神は尊聖皇子・観子妃(長慶天皇の皇子・皇妃)も合祀されている。

 この神社と向い合って子持杉があり、この杉に皇子・皇妃の霊が通って、子宝に恵まれない人やお乳の出ない女性には霊験あらたかであるとか。この子持杉の初代は残念ながら枯れ、二代目となっている(県指定天然記念物)。

○ 勝手明神(馬神様)

 吉野山山口神社を勧請したもので、祭神は満良王命(長慶天皇の叔父)

○ 蓮華寺の阿弥陀如来

 蓮華寺は奈良原神社の下の広場にあり、大宝元年(701)に開山され、明治4年(1871)の排仏毀釈により廃された。

 この蓮華寺の本尊は、阿弥陀如来で、寄木造の坐像。写真のようになかなか立派な仏様である。

渡邊眞憲氏の調査によると、応安3年(1370)に造られたもので、数奇な運命を辿っている。

 即ち、明治4年蓮華寺が廃されて以来、麓の木地のお堂に安置されていたが、廃村になり、昭和43年今治市海禅寺に移転し、昭和50年今治市の高野山別院にお堂を建て安置されていた。そのお堂も雨もりなどでいたみがひどく、平成7年に光林寺に安置され、やっと落着いた感がする。

 宝永7年(1710)の記録(国府叢書)によると、今治藩では牛馬一頭につき米五合上納のお触れを出している。これは、松山藩、小松藩、西条藩にも広がっている。

 しかし、牛馬を飼っているのは、文化年間(1810頃)までは、せいぜい三軒に一頭の割合であったが、文政年間(1830頃)から急激に増え、明治頃にはほぼ一軒に一頭になったようである。

 それに伴い、貴重な牛馬の神様として農民の間に広がった信仰が江戸末期なって、急速に高まり、全村的信仰へと広まって行ったようである。

 奈良原神社全盛時代の状況は、元文2年(1737)今治藩主四代久松定基公が画家常林に描かせた絵によると、  “下木地に祓川があって、水垢離をし、山の上り口に一ノ宮、ニノ宮があり、それより約一里(四粁)登った所に平地がある。その入口に鳥居があり、次に荒神社、蓮華寺、龍王社がある。

 三丁(三百米)程で勝手明神、その上に子守明神があり、その上一・二丁(百から二百米)の頂上に本社があった。

 蓮華寺は今は唯礎石が残っているのみであるが、この寺跡に通夜堂建築の計画で、目下工事を進めており、日ならずして昔時の壮観を見る事となろう。

 奈良原神社の繁栄ぶりが偲ばれる。

 渡邊眞憲氏によると、奈良原神社は一氏神様と異なり、広く高繩半島全体の神様であって、蒼社川水系地域全体の五穀豊饒、牛馬の神様である。従って奈良原山の山頂に鎮座してはじめてその神力が発揮できるのである。何とか阿弥陀如来様の修理と奈良原神社の再興をはかりたいものだと熱ぽく語られていた。

渡邊眞憲氏にお聞きする。

青井 三郎

玉川ウォッチング