9、長谷



(7)観音堂

横山の小高い山の上にあり、寛政3年(1791)に、薬師堂から分かれ建立することを今治藩へ願い出ていることが 「光林林寺文書」に残っている。
 この観音堂も集会所として、地域の行事に使われていたようである。

(8)五輪塔

 長谷には立派な五輪塔が多く残っているが大きいものをあげてみると。
o 大師堂の左奥の小高い竹藪の中に高さ1・5m程の五輪塔が3基あり、1基は倒れたままになっているが、
  江戸時代後期 の作らしい。
o 七曲薬師の奥の山の中に鎌倉期の作とされている玉川町指定の文化財五輪塔かおる。大変立派である。
o 厳島さんの奥の山頂に江戸時代の作とされている玉川町指定の文化財五輪塔がある。
o 横山の墓地、無縁仏の中に隠れキリシタン碑があるが、これはどこに祀られていたものであろうか。 

(9)金山

玉川町誌によると「長谷西方のホルンフェルスを母岩として厚さ十数cmの層状の黄銅鉱・磁硫銑鉱 鉱石を掘った旧坑があるが、坑内状況や過去の出鉱記録などは不明である。」との記事がある。  
現地には坑道の入口らしきものが残っているが、中の方はつぶれているらしい。どうも戦争中頃までは採掘していたらしい。

 阿部秀雄氏にお聞きする。
 青井 三郎

玉川ウォッチング