第3回 渡部トシ子氏  



渡部トシ子氏

第3回めのインタビュ-は、玉川町畑寺の元保健師の渡部トシ子さんをお訪ねして、お話を伺ってきました。
渡部さんは、大正14年生まれの86歳です。いつも朗らかで笑顔がたいへん魅力的で、インタビューの間も終始笑い声の響きわたる楽しい時間でした。

渡部トシ子さん 略歴

S.14、15年頃 旧鴨部村尋常高等小学校卒後、すぐ 今治市杉浦病院産婦人科へ見習い看護婦として勤務 この間に保健婦と助産婦の資格を独学で取得
S.20年 杉浦病院消失の為、西条へ疎開
S.22年頃 岩国の元海軍病院(GHQ管轄)へ勤務(3年くらい)
S.23年 旧鴨部村役場へ。この頃復員してきた許婚者と結婚。
S.30年~ 吉野病院勤務(4、5年)
S.35年~ 玉川診療所勤務、経由、玉川町役場
S.50年代 松山東高校の通信教育課程を受講、高卒資格を取得。

渡部さんの若い頃のお話をお聞かせください。

 
渡部さん:
そうですね。昭和14・5年ころに見習い看護婦をしながら、保健婦、助産婦の資格をとりました。
そして戦後、鴨部村役場に勤めたんです。
昭和35・6年ころ、玉川診療所に勤務していたとき、保健士の資格を持っていたからか、玉川町から要請があり、町の保健士として勤務するようになりました。
スタッフ:
すごいですね。そのころ独学で資格を取ったとは。また、戦争中のこと、今治市内が爆撃されている最中に、防空壕の中でお産に立ち会い、赤ちゃんをとりあげたことがあったとか。
渡部さん:
そうそう。そんなこともあったねえ。その子が20歳になったとき、「お世話になった」とお母さんと挨拶に来てくれた時はうれしかったです。
スタッフ:
当時、新生児が生まれると、シャンプーなどがなかったので、「卵の白身で洗ってあげたらきれいになるよ。」と教えてあげたりして、妊婦さんにいいアドバイスを与えてあげていたと、聞いています。
渡部さん:
妊婦さんに接するときは、相手の不安を取り除き、安心させてあげるということを心がけてきました。

問2 退職されてから、今日まで何事にも熱心に取り組まれていたようですね。

渡部さん:
(薬草の会でお茶作りを教えてあげて皆に喜んでもらったり、真向法健康体操をしたりしていたんです。自分自身も健康には気をつけて何でも食べるようにしています。好き嫌いは一つもないんですよ。
スタッフ:
それからいろんな会によく出ていらっしゃいましたね。お手玉の会や、銭太鼓もしていらっしゃるんですよね。絵手紙や川柳もやっているんですか。みんなと一緒によく活動していましたね。
渡部さん:
お手玉は、玉川町老人会でチームを結成して、新居浜市であった全国大会などにも参加しました。
それから今までずっと続けていますが、上手には振れません。
また、銭太鼓も、みんなと一緒に今も楽しんでいます。絵手紙や川柳は、今はもうしていません。 
スタッフ:
地域通貨『バンブー』というボランティアグループの役員としてもご活躍でしたね。
畑寺では、「お灸」のすえ合いこをして、それで地域通貨を渡していましたね。
いろんなことを考えだしては取り組み、アイディアマンでしたよね。
退職のころには、勲章をもらったんじゃなかったですか?
渡部さん:
60歳の頃に、勲六等宝冠章をいただきました。
 
スタッフ:
60歳という若さで立派な名賞をいただいてすごいですね。
渡部さんのそれまでのご活躍が認められたということですね。
それでは、みんなで記念撮影をしましょう。
 

問3 現在はどのような生活を送っていらっしゃいますか?

渡部さん:
主人がいたころは、一緒にいろんなところへ行っていましたけど、このごろはあんまり行かなくなりました。 今は週に3回、デイサービスに行っているんです。
スタッフ:
それはいいですね。
これからもお体に気をつけて、デイサービスの皆さんと楽しい日々をお送りください。
 

若いころから精力的に活動し、玉川町民の健康づくりや、いろいろな活動に積極的に取り組んでいた姿勢がたいへん印象的でした。そしていつも明るく高らかな笑い声が響き渡り、渡部さんのいる周りは、いつも笑い声が絶えない状態でした。今も家族の皆さんに見守られながら、幸せいっぱいの様子が伺えました。渡部さん、いつまでもお元気で。ありがとうございました。