第12回 田鍋貢氏、ミツエ氏ご夫妻



玉川で働く3人の男性

山の緑が美しい季節、龍岡木地にお住いの田鍋貢さん、ミツエさんご夫妻をお尋ねしました。
 玉川には「木地」と呼ばれる地名が2カ所あります。「鈍川木地」と「龍岡木地」。いずれも、手を伸ばせば空の雲がつかめそうなほど、玉川で一番天に近いところという感じです。
 龍岡木地は、松山に抜ける水ヶ峠トンネルの手前のあたりになります。蒼社川源流域の森林を生活の場としてきました。廃校になって久しい龍岡小学校木地分校を中心に、昭和30年頃は、約40世帯、200名あまり住んでいましたが、今は、現在は田鍋さんご夫婦を含め3軒しか住んでいません。
 ここにある観音堂の本尊は、十一面観音菩薩で、秘仏となっています。田鍋さんご夫婦は、このお堂を長きにわたり守ってきました。


スタッフ:
どうぞと通された居間には囲炉裏が切られていて、炭がはぜていました。
「まだ、朝夕は肌寒いんよ。」と貢さん。
窓からは、山の緑がいっぱい。光が差し込んできます。
「その杉の木は、子どもが生まれた時に植えたんじゃ。子どもらと一緒に育ったわい。」とミツエさんが話してくれます。
家の中では、昔から使ってきたという道具が今も大切に使われていました。
スタッフ:
おふたりの生まれは木地。貢さんが昭和3年4月1日、奥さんのミツエさんは昭和2年9月20日。85歳と86歳で、おふたりは、「ねーやん、よい」「みっつぁん」と呼び合っています。
ミツエさん:
ふたりともが、木地で生まれて育ったんよ。はよいや、幼なじみじゃった。
この人(貢さん)は、小学校の四年生の時に、今治に出てしもた。
成人してからこの人は満州鉄道ではたらいとった。
のちにシベリアまで連行され捕虜になってしもうて・・・
貢さん:
わしは、マンテツで働いとった。捕虜になった時には、もう生きて帰れることはないじゃろうと思とった。ほじゃけど、幸せなことに、帰ってくることができた。
今治まで帰るとそれまでの家は空襲でないなってしもとったので、この龍岡木地に帰ってきたんじゃ。
ミツエさん:
この人とは、子どもの頃から一緒に遊んどったけど、満州へ行ったと聞き、その後どうしとんじゃろと思とったんじゃけど、堂守さんが教えてくれたラジオを聞きよったら、この人が戦争から帰ってくるという。あの時のことはよう忘れん。
ワシは、娘のころは、親から言われて、三味線や踊りを習ったりしとったんじゃけど、もうそろそろ結婚せないかんという頃に、親に、“お前と結婚する人には、ここで炭焼きをしてもらわないかんのやけん、結婚の相手は、しんぼうな人じゃないといかん。貢はしんぼうをしてきとるけん、お前の相手にええ”そう言われて、親のひとことで、結婚することになったんじゃ。
終戦後の暮らしは、貢さんは今治で運送業を営み、ミツエさんは木地で炭を焼いたり、少しばかりの田畑で作物を作り、ご両親、お嬢さんと共に家を守ってきました。貢さんが、やがて運送業もやめて再び木地に帰ってきました。そのころから、堂守さんのいなくなった観音堂を二人で守ってきたのです。
ミツエさん:
私にとって、観音堂は、子どもの頃から一緒にあった。ありがたい観音さんじゃった。
堂守さんのいなくなった観音堂を掃除したり、毎年1月と8月に龍岡寺のご住職がおまいりに来て下さるときのお世話もし続けていたそうです。
ミツエさん:
「ほじゃけんじゃろか。ワシが体を悪うして、入院をした時に、白装束の若い男性 が枕元に現れ、必ずよくなり、歩けるようになって、木地に帰れるけん、と言うた。もう歩けるようにはならんかろかと思とったが、しばらくしたら、本当に歩けるようになり、木地に帰ってくることができた。ワシは、あれは誰がなんと言おうと、観音さんじゃったと思うんじゃ。」

問1  長い間木地に住んでいて面白いエピソードなどありますか?

ミツエさん:
嵯峨子の山に7つ甕に入った金銀が埋められているという話があるんを知っとるかん?1つは堀り出されたいうが、残りの6つの甕はまだ出てきとらん。あの甕は確かに、あると思うんじゃ。この話は親からよう聞いとった。山には古い井戸もあり何人も掘った人がいるそうじゃが見つからん。もし、見つかったら、山の持ち主やったワシにも、1つはくれというとんじゃ(大笑い)
スタッフ:
白椿と黄金 この話は、「玉川ねっと」で紹介されている紙芝居「白椿と黄金」の話に通じる物語だとスタッフ一同、思いました。
又、ミツエさんが10代のころにお父さんが習わせてくれた三味線も、探すと神棚の奥から出てきて、見せていただきました。とてもいい音色だったと言うので弾いてもらいたかったのですが、70年の歳月には勝てませんでした。

問2 最後に最後に今の若い人たちに何かありますか?

ミツエさん:
真面目に働いて人様に迷惑をかけず、後ろ指刺されるようなことはせずに、真っ直ぐにいきてほしいんじゃ。ワシは、この木地が好き。観音さんと共におるのが 好き。土喰うても、木地におる、おり続けるのがワシの夢なんじゃ。
観音堂 十一面観世音菩薩
スタッフ:
親に言われて結婚したと言うけれど、よかったですね?(笑)
ミツエさん:
ほうよ。ほうよ。ワシはみっつぁんを愛しとるけん。木地とみっつぁんは、ワシ  にはなくてはならんのよ。(一同大笑い)
スタッフ:
お話が終わってみんなで外に出て写真を撮りました。庭には珍しいカルミヤの花が満開で紅白の2種がまるで寄り添うお二人を象徴している様でした。

60年に一度のご開帳だという観音堂に手を合わせ、当時は国道の方までこだましていたという鐘をたたかせてくださいました。
そして、坂の上から私たちが見えなくなるまで、手をふってくれた田鍋さんご夫婦。
どうかいつまでもお元気でと願いながら木地を後にしました。